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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和37年(ナ)1号 判決 1964年1月13日

原告 川畑庄之助

被告 福井県選挙管理委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「原告から被告に対して提起した、昭和三十七年三月十日に執行された福井県三方郡美浜町議会議員の一般選挙における当選の効力に関する訴願に対し、被告が昭和三十七年十月二十三日になした裁決を取消す。昭和三十七年三月十日執行された福井県三方郡美浜町議会議員の一般選挙に関し、同町選挙管理委員会が昭和三十七年四月十九日付同委員会告示三十号をもつてなした、原告の当選を無効とする旨の決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因、および被告の主張に対する答弁として、次のとおり述べた。

(一)、原告は、昭和三十七年三月十日に執行された福井県三方郡美浜町議会議員の一般選挙(以下「本件選挙」という)において候補者であつたところ、選挙の結果、二百十四・一三二票を得票し、同日の選挙会において当選人と決定され、同月十三日、美浜町選挙管理委員会より当選証書の交付を受け、議員の資格を取得した。ところが同月十二日、本件選挙で二百七・〇六五票を得票し次点で落選した候補者渡辺治から、美浜町選挙管理委員会に対し、当選の効力に関する異議の申立がなされた。右異議申立は、前記選挙会で、「正」と記載された投票十二票を原告に六・一三二票、渡辺治に五・八六七票と按分してそれぞれの得票としたことは不当であつて、右の投票は全部渡辺治の得票とすべきであり、そうすると、渡辺治の得票が二百十三・一九八票、原告の得票が二百八票となるから、渡辺治が当選人となるべきもので、原告の当選は無効であるから、その旨の決定を求めるというものであつた。右異議申立に対して美浜町選挙管理委員会は、同年四月十九日告示三十号を以つて、昭和三十七年三月十日執行の美浜町議会議員選挙における、同日の選挙会において当選人と決定された原告の当選は、これを無効とするとの決定をした。そこで、原告は同年五月九日に被告に対して、美浜町選挙管理委員会がした右決定の取消しを求める訴願を提起したところ、被告は同年十月二十三日に右訴願を棄却するとの裁決をし、原告は同月二十四日に右裁決書の交付を受けた。

(二)、被告がした右裁決は次に述べるとおりの理由で不当である。

(1)、原告は美浜町選挙管理委員会に対して、本件選挙の立候補届出期日である同年三月二日午前十一時頃に十五人目の立候補届出を行うと同時に、通称として「川庄」「庄」「忠五郎」を届出で、さらに同日午後三時三十分頃に「正」を追加して届出で、右委員会は右届出を受理した。

(2)、原告は平素から美浜町の全地域において、「しよう」あるいは「しようやん」と呼ばれており、右は呼名として通称化されていた。ところで「しよう」あるいは「しようやん」という呼名はそのように発音するところに意味があるのであつて、「正」または「庄」という固定した文字によつて通称化され発音されていたものではない。したがつて、原告の通称を文字で表現する場合に、「庄」または「庄やん」と書けば原告の本名の文字と一致するのであるが、「庄」より平易で一般に通用度の高い「正」または「正やん」と書かれても、その発音が「しよう」「しようやん」である以上、右の記載をもつて「庄」または「庄やん」を表示したものではないと断定することはできない。事実美浜町民中には原告のことを「正」「正やん」または「川正」もしくは「川畑正之助」と記載表示する者が多いのである。

(3)、原告は本件選挙にあたり、同年三月二日に立候補届出をして以来同月九日までの八日間、原告の通称である「正」の一字を記載して投票しても、原告に対する投票として有効である旨街頭演説、その他の選挙運動で強調した。

(4)、渡辺治が美浜町選挙管理委員会に対して、同年三月二日に通称として「正」の届出をしていたということは、渡辺治が同月十二日に前記の異議申立をしたときに初めて原告はこれを知つたのである。

(5)、したがつて、本件選挙における同年三月十日の選挙会において、「正」と記載された投票十二票を、原告に六・一三二票、渡辺治に五・八六七票と按分してそれぞれの得票とし、原告の総得票を二百十四・一三二票、渡辺治の総得票を二百七・〇六五票として、原告を当選人と決定したことは正当であつた。しかるに、美浜町選挙管理委員会および被告は「正」と記載された投票十二票を全部渡辺治の得票と認め、その結果美浜町選挙管理委員会は前記のとおり原告の当選を無効とする旨の決定をし、被告は右決定に対する原告の訴願を棄却するに至つたのである。

(三)、よつて、原告は、被告が昭和三十七年十月二十三日になした、原告の訴願を棄却するとの裁決、および美浜町選挙管理委員会が同年四月十九日になした、原告の当選を無効とするとの決定の取消しを求める。

(四)、甲、乙両候補者の何れの得票とすべきか疑わしい投票、およびその配分の不明な投票を、両者の得票によつて按分してそれぞれの得票とすることは、公職選挙法が定めている秘密投票主義の当然の結果であり、投票を按分することによつて、按分された票を投票した選挙人の真実の意思と一致しない結果となつても止むを得ないのである。本件選挙において「正」と記載された投票のうち、原告に投票する意思によるものと、渡辺治に投票する意思によるものとどちらが多かつたかという点について、仮に渡辺治に投票する意思によるものの方が多いということの蓋然性が一応認められるとしても、原告に投票する意思によるものは一票もないとは断定できない。すなわち、

(1)、原告が美浜町の南市地区(世帯数三百八十)、および国鉄関係者、美浜町議会議員等の間で、「しよう」「しようやん」と呼称されていることは、被告もその裁決の理由中で認めているところである。

(2)、前記(二)の(1)、(3)のとおり、原告は美浜町選挙管理委員会に対して、「正」を原告の通称として届出で、かつ選挙運動期間中街頭演説等で、右の届出をしてあるので「正」とのみ記載して投票しても、原告に対する投票として有効であることを南市区民に宣伝した。通称、あるいは幼名というものは、本名よりも呼称し易いことは当然であり、日常通称や幼名で呼称している者のうちには、永年同一部落に居住し、交際しながら、うかつにも本人の本名や本姓を知らないままでいる者さえあるが、それは日常生活においては、本名や本姓を知らなければならない必要がないからである。また、教育程度の低い明治時代生れの老人や無学な者、あるいは幼な友達などのうちに右のような者が特に多いのである。これらの選挙人には、かんでふくめるように最も単純平易で素朴な、平素呼び慣れている呼称で投票するよう宣伝することが選挙の要領である。したがつて、原告が街頭演説で、「しよう」と書いても、また「庄」よりも一般に平易で書き易く、覚え易い「正」の一字を書いても、原告に対する投票として有効であると区民に呼びかけたことは、当然のこととして首肯できることなのである。これに対して、原告としては、「かわばた」「川畑」「川庄」または「庄之助」と明確に記載するよう宣伝すべきであつたということは、選挙人の実情に通ぜず、選挙運動の実際と理論を混こうした考え方である。

(3)、昭和三十二年一月三日に行われた美浜町南市地区の区長代理の選挙において、原告に対する投票で、「正」と記載されたものが二票、「正之助」と記載されたものが三十票あつた。

右(1)ないし(3)の事実を考え合わせると、本件選挙で「正」と記載された投票十二票のうちに、原告に対して投票する意思で投票されたものが全くないとは断定できない。右の十二票のうちに原告に対して投票する意思で投票されたものが多少にかかわらず存在する蓋然性がある以上、右の十二票を全部渡辺治の得票とすることは誤りであり、右十二票全部を原告と渡辺治の得票に按分すべきである。

(証拠省略)

被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

(一)、原告主張の(一)の事実は、原告が被告に対して訴願の提起をした日が昭和三十七年五月九日であるという点を除き、その余は全部認める。原告が被告に対して訴願の提起をしたのは、同年五月十日である。

(二)、原告が被告の裁決、および美浜町選挙管理委員会の決定が不当である理由として主張する事実はすべて争う。

(三)、投票の効力を判断するにあたつて、候補者の通称を記載したものとして、これを有効と認めることができるか否かは、専ら投票用紙に記載された当該記載が事実候補者の通称を記載したものと認められるか否かに係るものであつて、候補者から通称としての届出が選挙管理委員会になされたか否かに係るものでないことは、公職選挙法第四十六条第一項、第六十八条の各規定に照らして明らかである。したがつて、仮に原告がその主張のとおりの時期に「正」を原告の通称として美浜町選挙管理委員会に届出で、それが受理されていたとしても、それはあくまで「正」と記載された投票が原告の通称を記載した投票として有効か否かを判断するについての参考となるに過ぎないのであり、通称の届出、受理がなされたということは、投票の効力を判断するについて法律上の拘束力をもたないのである。

(四)、原告は幼時から近親、近隣の者、同輩等から「しよう」または「しようやん」と呼ばれ、現在でも原告が居住している美浜町南市区の住民のうちの中年以上の者や、原告の勤務先である国鉄関係の者、美浜町議会議員の間では右の呼称で呼ばれていることは認められるが、それも原告が美浜町議会議員にこれまでに二回当選するなど、その社会的地位の向上とともに、次第に用いられなくなり、時には右の呼称で呼ぶことが、原告に対する侮べつ的表現であるとさえ考えられるようになつてきている。右の事実は、昭和三十三年三月八日に執行された美浜町議会議員選挙、および本件選挙の投票中に、「しよう」「しようやん」、もしくは「庄「庄やん」と記載された投票が一票もなく、原告に対する投票には、記載の仕方に若干の相違はあるが、その姓を明らかにするため、すべて「川畑」「カワバタ」あるいは「かわばた」と記載されているのが特徴的であることによつてこれを認めることができる。

(五)、原告は前記の範囲、限度で「しよう」「しようやん」と呼ばれていたが、「正」「正さん」と記載された投票が原告の通称を記載したものといえるためには、単に原告がその通称として「しよう」「しようやん」と発音上呼ばれていたというのみでは足らず、右の呼称が文字で表示されるときには「正」の文字で表示されるということと一体となつて、当該選挙区、または相当区域にわたり通用しているということが必要である。ところで、原告は被告に対して提起した訴願において、(1)、昭和三十三年三月に執行された美浜町議会議員選挙において、原告に投票した者のうちに「正」と記載した者が三人ある。(2)、昭和三十二年一月に行われた美浜町南市区の役員選挙で、投票九十九票中に「川畑正之助」と記載されたものが三十票、「川正」と記載されたものが二票あつた。(3)、原告が日用品を購入する商店のなかにも、原告に宛てた文書に「川畑正之助」と記載するものがある。と主張したのであるが、右(1)の事実は、公職選挙法が定める秘密投票主義のもとでは、その存否をせんさくすることは許されないことであり、(2)、(3)の事実も、原告が提出した資料、被告の調査によつてもこれを認めることができなかつたのである。また、昭和三十三年三月八日に執行された美浜町議会議員選挙において「正」と記載された投票が十七票あつたが、右の十七票は全部渡辺治の有効得票と決定されたのに、これに対して原告は何も異議を申立てなかつたこと、右選挙、および本件選挙において、「川畑正之助」「正之助」あるいは「川正」と記載された投票が一票もなかつたことなどを合わせて考えると、原告の「しよう」「しようやん」という通称は、これを強いて漢字で書き表わすとすれば、その起源が「庄之助」であるから、「庄」「庄やん」と書き表わすことができるだけであつて、原告の右通称が「正」の文字と一体となつて通用しているということはできないのである。

(六)、本件選挙で候補者であつた渡辺治は、昭和二年から引続き三方郡美浜町早瀬において水産物の仲買、加工を営み、開業以来「<正>」の商号を使用して一切の商取引を行つていることから、初めの頃は商取引関係者間のみであつたが、現在では商取引に関係のない者でも渡辺治を指して「しよう」と呼ぶようになつている。そして右の呼称が前記の商号に由来していることから、右の呼称と「正」の字が一体となつて渡辺治という本名以上に通用し、同人の本名を知らないで、「しよう」「正」のみを知つている者さへ多数いる。また右呼称が通用する範囲は同人が居住している早瀬区はもとより、商取引関係者を別にしても、笹田、日向、久々子、郷市、および河原市の各区におよび、美浜町の全区域にわたつて通用するとまではいえないにしても、少くとも旧北西郷村全域と、これに隣接する旧南西郷村、旧耳村、旧山東村の区域の各一部においては通用しているのであり、これらの地域においては渡辺治の呼称である「しよう」「しようさん」が「正」の字と一体となつて使用されており、渡辺治自身も、選挙用ポスターに略称として「正」と記載して選挙民にこれを周知させ、個人演説会等でも商号を使用して選挙運動を行つていた。これらの事実からすると「正」「正さん」は渡辺治の通称であるということができる。

(七)、右(四)ないし(六)の事実を総合して考えると、「しよう」「しようやん」、または「しようさん」という呼称は、原告と渡辺治とに共通する発音上の通称であるということができ、したがつて、右呼称が仮名、または片仮名で記載されて投票された場合には、公職選挙法第六十八条の二第二項に該当する投票として、原告と渡辺治に按分すべきであるが、「正」と記載された投票は右の場合と異り、渡辺治の通称を記載したものとして、全部同人の有効得票とするのが相当である。

(八)、原告は、本件選挙の選挙運動期間中街頭演説等で、「正」と記載して投票しても原告に対する投票として有効であると宣伝したと主張するが、原告が使用したポスターにはその通称として「正」という記載がされていなかつたことからみて、右主張のような事実があつたかどうか疑わしいのみでなく、仮に原告が右主張のような選挙運動をしたとしても、それによつて「正」が原告の通称となるわけではないから、原告に投票する意思で「正」と記載投票した者があつたとしても、右投票は「正」を通称とする渡辺治の得票とされるほかはないのである。

(九)、被告が本件選挙の投票を調査したところによると、

(1)、「川畑忠五郎」と記載された投票一票が、原告の有効得票とされているが、「忠五郎」は実在する原告の父の名であり、同人は約十年前に旧耳村の村議会議員を勤めたことがあるほか、多年にわたつて南市区区長の職に在つたもので、同人の居住する南市区内においては原告と明らかに区別されており、「忠五郎」の呼称は原告の父を指す場合に用いられていることが明らかであるから、立候補制度を採用しているとはいえ、原告を指すのにその父の名を以つてする特段の事情があると認められない以上、右の投票を原告の有効得票とすることはできない。

(2)、渡辺治の有効得票とされている投票のうちに、「正度辺治」と記載された投票一票があるが、右の記載のうち「度」が「渡」の誤記であることは明らかであるが、「」(事)は公職選挙法第六十八条第五号にいう他事記載であるから、結局右投票は無効とすべきであり、これを渡辺治の有効得票とすることはできない。

(十)、以上のとおりで、本件選挙における渡辺治の有効得票は正票二百十票(「正」と記載されたもの十二票、「正さん」「正サン」と記載されたもの各一票を含む)、按分票二・二五二票計二百十二・二五二票であり、原告の有効得票は正票二百七票のみであつて、その得票順位は渡辺治が第二十四位、原告が第二十五位となるので、渡辺治が当選人、原告が最高位落選人となるべきものであるから、美浜町選挙管理委員会が、原告の当選を無効とする旨決定したことは結局正当であり、右決定の取消しを求める原告の訴願を被告が棄却したことも正当であるから、原告の本訴請求は失当である。

(証拠省略)

理由

(一)、昭和三十七年三月十日に執行された福井県三方郡美浜町議会議員の一般選挙(本件選挙)において、原告、および渡辺治がいずれも候補者であつたこと、本件選挙について同日行われた選挙会において、原告の得票は二百十四・一三二票であつて当選人と、渡辺治の得票は二百七・〇六五票であつて最高位落選人(次点)と決定され、同月十三日、美浜町選挙管理委員会から原告が当選証書の交付を受けたこと、同月十二日、渡辺治が美浜町選挙管理委員会に対して、原告の当選を無効とする旨の決定を求める異議の申立をしたこと、右異議の理由の要旨は、前記選挙会が、「正」と記載された投票十二票を原告に六・一三二票、渡辺治に五・八六七票と按分してそれぞれの得票としたことは不当であつて、右の十二票は全部渡辺治の得票とすべきであり、そうすると、渡辺治の得票が二百十三・一九八票、原告の得票が二百八票となるから、渡辺治が当選人となるべきものであるというものであつたこと、美浜町選挙管理委員会が同年四月十九日告示三十号を以つて、前記の選挙会において当選人とされた原告の当選を無効とするとの決定をしたこと、原告が被告に対して、美浜町選挙管理委員会がした右決定の取消しを求める訴願を提起したところ、被告は同年十月二十三日に右訴願を棄却するとの裁決をし、同月二十四日、原告が右裁決書の交付を受けたことは、いずれも当事者間に争がない。

真正に作成されたことに争いのない乙第十二号証によると、同年五月十日に原告が被告に対して右の訴願を提起したことが認められる。

(二)、検証(第一回)の結果によると次の事実が認められる。

(1)、本件選挙における投票のうちに、(イ)、漢字で「川畑庄之助」と記載されているもの、(ロ)、漢字、片仮名、平仮名、もしくはこれらを混用して、発音上「かわばたしようのすけ」または「かわばたしよのすけ」と読むことができる記載がされているもの、(ハ)、漢字、片仮名、平仮名で、発音上「かわばた」と読むことができる記載がされているものが合計百九十九票、(ニ)、「川畑庄」と記載されているものが三票、(ホ)、「川畑圧之助」「川畑シノスケ」「カワバタノスケ」「川」「川畑正造」と記載されているものが各一票、(ヘ)、「川畑忠五郎」と記載されているものが一票あり、右の(イ)ないし(ヘ)の合計二百八票は選挙会において原告の得票とされた。

(2)、本件選挙における投票のうちに、(イ)、漢字で「渡辺治」と記載されているもの(「君」を附したもの含む)、(ロ)、片仮名、平仮名、および漢字とこれらを混用して、発音上「わたなべおさむ」と読むことができる記載がされているものが合計百八十四票、(ハ)、「渡辺治正」と記載されているもの二票、(ニ)、「渡辺正」と記載されているもの三票、(ホ)、「ワタナベオサム正」「わたなべ正」「正渡辺治」「渡辺治」「正ワタナベオサム」「ワタナベ正」「渡邊正」と記載されているものが各一票、(ヘ)、「正度辺治」と記載されているものが一票、(ト)、「正サン」「正さん」と記載されているものが各一票あり、右の(イ)ないし(ト)の合計百九十九票は、選挙会において渡辺治の得票とされた。

(3)、本件選挙の投票のうちに、単に「正」と記載されているものが十二票あり、この十二票は選挙会において、前記(1)の原告の得票数二百八票、前記(2)の渡辺治の得票数百九十九票を基礎として右両名に按分され、原告の得票が六・一三二票、渡辺治の得票が五・八六七票とされている。

(4)、本件選挙における投票のうちに、(イ)、「わたなべ」と記載されているものが三票、(ロ)、「ワタナベ」と記載されているものが一票あり、右の(イ)、(ロ)の合計四票は選挙会において、前記(2)の渡辺治の得票数百九十九票と、本件選挙における候補者渡辺岩太郎の正票得票数百六十三票を基礎として、右両名に按分され、渡辺治の得票が二・一九八票、渡辺岩太郎の得票が一・八〇一票とされている。

(5)、本件選挙について、昭和三十七年三月二日に原告が「庄」「忠五郎」「川庄」「正」を、渡辺治が「正」「正さん」をそれぞれその通称、屋号等として美浜町選挙管理委員会委員長に届出で、受理された。

(6)、本件選挙における投票のうち、選挙会において無効投票とされたもののうちに、「田端」「かわた」と記載されているものが各一票ある。

(7)、本件選挙において、金田健一、川藤睦美がいずれも候補者となつていた。

右のとおり認められるのであり、右認定を妨げる証拠はない。

(三)、そこで、本件選挙における投票のうち、右(二)の(3)の「正」と記載された十二票、および(二)の(2)の(ト)の「正サン」「正さん」と記載された各一票が、原告と渡辺治に按分してそれぞれの得票とされるべきものであるか、その全部が渡辺治の得票とされるべきものであるかについて考える。(原告は右の「正サン」「正さん」と記載された投票計二票が、原告と渡辺治に按分されるべきものであるということを明らかには主張していないのであるが、右各投票の記載のうち「サン」「さん」の部分は、公職選挙法第六十八条第五号但し書にいう敬称であるから、右各投票を誰の得票とすべきかの判断は、単に「正」と記載された投票と同一でなければならないことは明らかである。)

(1)、証人川畑清治、同坂口章、同藤長修一、同川畑重一、同仲野竹応、同仲嶋浅次郎、同大同久雄、同山口寛治、同仲嶋伝治、同竹阪源蔵、同島田豊、同小嶋正栄、同塩浜保、同吉良弘志、同竹本幾雄、同宮迫信雄、同山口たづゑ、同仲島清の各証言を合わせて考えると、原告はその名が「庄之助」であるところから、幼時から原告より年長者、および同輩などから「しよう」と呼ばれていたものであり、現在においても、原告が居住している美浜町南市地区の住民、原告が勤務している国鉄の同僚などから、「しよう」あるいは「しようやん」(「やん」というのは「さん」が訛つたものである)、または「しようさん」と呼ばれることが多いことを認めることができ、右認定を妨げる証拠はない。しかしながら右の原告の名の略称を文字で書き表わす場合に、「正」「正やん」、あるいは「正さん」などと「正」の文字を用い、「正」の文字一字で原告を指示する(「やん」「さん」は敬称であつて、特定の個人を指示する意味をもつていないのであるから)ことが行われていることを認めるに足りる証拠はない。証人坂口章、同木野雅男、同川畑重一の各証言、および証人川畑重一の証言によつて真正に作成されたと認められる甲第五号証、ならびに原告本人尋問の結果を合わせて考えると、昭和三十二年一月に行われた美浜町南市区長代理の選挙において、原告に対する投票のうちに、「川畑正之助」と記載されたものが相当多数あつたこと、原告に宛てた郵便物で宛名を「川畑正之助」と記載したものが時々あること、昭和三十六年七月頃、国鉄労働組合敦賀支部の会計監査報告書に、原告の氏名が「川畑正之助」と記載されていたことを認めることができるのであり、右の各事実から推すと、他人が原告の氏名を書く場合に「川畑正之助」と誤記することが相当あつたと認めることができるけれども、右の場合、「正」の文字は「川畑」、および「之助」の文字と一体となつて原告を指示する作用をもつているというべきであるから、右の事実から直ちに「正」の字一字で原告を指示することが相当行われていたとは到底いえない。前掲記の甲第五号証、および原告本人尋問の結果によつて真正に作成されたと認められる甲第六号証には、前記の南市区長代理の選挙において、原告に対する投票とされたもののうちに、「川正」と記載されたものが二票あつた旨の記載があるが、仮に右甲号各証記載のとおりの投票の事実があつたとしても、「川正」の記載のうちの「川」は原告の氏である「川畑」を省略したものと考えられるのであり、これと「正」が一体となつて原告を指示する作用をもつているというべきであるから、右の事実から直ちに「正」の字一字で原告を指示することが行われていたとはいえない。また証人川畑重一の証言のうちには、前記の南市区長代理の選挙においては、原告に対する投票とされたもののうちに、単に「正」と記載されたものが二票あつた旨の証言があるが、右証言は前掲記の甲第五、六号証、および原告本人の供述のうち右甲号各証が作成された経緯に関する部分に照らすとたやすく信用することはできないし、原告本人の供述のうちには、原告が立候補し、当選した、昭和三十三年三月に執行された美浜町議会議員選挙において、原告に投票する意思で「正」とのみ記載投票したということを当該投票者からきいた旨の供述があるが、右供述のみで、右のような投票が行われたということを認めることは到底できないし、他に右のような投票が行われたことを推認するに足りる証拠はない。

してみると、原告には呼称たる通称(声に出して言うことをその表現の手段とする通称)として「しよう」「しようやん」「しようさん」があるということはできるけれども、右通称には、それが文字によつて表現される場合に、「正」「正やん」「正さん」などと「正」の文字を用いて書き表わされるという、「正」の字との関連性(結び付き)はないといわなければならない。本件選挙について、原告が美浜町選挙管理委員会委員長に対して、原告の通称等の届出として「正」を届出で、受理されたことは前記のとおりである。しかしながら、通称、屋号等の届出の受理は届出でられたものが実際に当該候補者の通称、屋号として通用しているかどうかを調査したうえ、実際に通用していると認めたもののみを受理するということになつているのではなく、届出でられたものは、実際の通用の有無に拘らず受理されているのであるから、原告が通称として「正」を届出で、それが受理されていたということは、前記の判断を妨げるものではない。また原告は、原告が本件選挙に立候補の届出をして以来昭和三十七年三月九日までの八日間、「正」の一字を記載しても、原告に対する投票として有効である旨街頭演説、その他の選挙運動で強調したと主張し、証人川畑重一の証言、および原告本人の供述のうちには右主張にそう証言、供述があるが、右の証言、供述は証人川畑清治、同仲嶋浅次郎、同大同久雄、同山口寛治、同島田豊、同永井正雄の各証言と対比して考えると、これをもつて前記の原告主張事実を認めるに充分ではなく、他に前記の原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。のみならず、仮に原告が前記主張のとおりの選挙運動をしたとしても、単にそのような選挙運動をしたということによつて、原告の前記の通称が「正」の文字を用いて書き表わされ、それが通用するという事実状態が生じたとはいえないから、原告がその主張のような選挙運動を行つたということは、前記の判断(原告の前記の通称と「正」という文字との間には関連性がないという判断)を覆すに足りない。

(2)、証人増田実、同木野雅男、同宮迫信男、同宮本吉三郎、同宮下儀一郎、同高橋三郎、同橋本豊二、同金森亀太郎、同佐々木円昭、同寺下みつ子、同今村好子の各証言、および前記認定のとおり、本件選挙における投票のうちに前記(二)の(2)の(ハ)ないし(ヘ)のとおりの記載をした投票があつたこと、ならびに検証(第三回)の結果によると、昭和三十三年三月に執行された美浜町議会議員の選挙における投票のうち、候補者渡辺治の得票とされたもののうちに、「渡辺治正」と記載されたもの一票、「正渡辺治」と記載されたもの二票、「渡辺正」と記載されたもの六票、「ワタナベ正」と記載されたもの一票があつたことが認められることを合わせて考えると、次の事実を認めることができる。

渡辺治は美浜町早瀬に居住し、約三十年位以前から「正」の文字を屋号として使用し、魚類の仲買、加工販売、および塩の販売を営み、同人が発信する郵便物、および営業関係の文書にも「正」の字を記載し、使用しているところから、現在においては同人との商取引関係者のみでなく、美浜町の早瀬、日向、久々子等の地区の一般住民からも「しよう」あるいは「しようさん」と呼ばれることが多く、これらの者の間では、「わたなべおさむ」とその正しい氏名を言うよりも、「わたなべしよう」あるいは単に「しよう」「しようさん」と言つた方がわかり易い位にまでなつており、かつ右の「しよう」「しようさん」の呼称を文字で書き表わせば「正」「正さん」であることがよく知られている。

右のように認められるのであり、右認定を妨げる証拠はない。

右認定事実によると、渡辺治には、「正」「正さん」という「正」の文字と一体となつて観念されている通称があるということができる。

(3)、右(1)、(2)に述べたことを総合すると、呼称としての「しよう」「しようさん」は原告と渡辺治とに共通の通称であるということができるけれども、「正」の文字を用いて書き表わされた「正」「正さん」という名は、渡辺治の通称ではあるが、原告の通称とはいえないということになる。

してみると、本件選挙における投票のうち「正」と記載された投票について、それが原告、および渡辺治両名の通称を記載したものとして、両名に按分されるべきであるという以外に何も主張がない以上、本件選挙における投票のうち、前記(二)の(3)の「正」と記載されている十二票、前記(二)の(2)の(ト)の「正サン」「正さん」と記載されている各一票計十四票は、同一の名(通称)を有する候補者が二人以上ある場合に、その名(通称)のみを記載した投票に該当せず、渡辺治だけが有する名(通称)を記載したものというべきであるから、右十四票は全部渡辺治の有効得票とすべきである。原告は、「正」と記載されている投票のうちに、原告に投票する意思で投票されたものが一票もないと断定できない以上、「正」と記載されている投票は原告と渡辺治に按分されるべきであると主張し、原告に「しよう」「しようやん」「しようさん」という呼称としての通称があると認められる以上、原告に投票する意思で「正」と記載投票した者が一人もいないと断定できないことは原告主張のとおりであるが、投票を二人以上の候補者に按分してそれぞれの得票とするのは、投票の記載自体が、同一の氏名、氏、または名の候補者が二人以上ある場合に、その氏名、氏、または名のみを記載したものと認められる場合に限るのであるから、原告の右主張は採用できない。

(四)(1)、本件選挙における投票のうち、前記(二)の(1)の(イ)ないし(ホ)の合計二百七票が全部原告の得票とされるべきものであること、前記(二)の(2)の(イ)ないし(ヘ)の合計百九十六票が全部渡辺治の得票とされるべきものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

(2)、本件選挙における投票のうち、前(二)の(1)の(ヘ)の「川畑忠五郎」と記載されている一票は、真正に作成されたことに争いのない乙第六号証、および原告本人尋問の結果によると、「忠五郎」というのは現に生存している原告の父の名であることが認められ、他方右投票の記載が、原告に投票する意思で記載されたと認めるのを相当とするような特段の事情があることを認めるに足りる証拠がない以上、候補者でない者の氏名を記載したものとして無効であり、原告の得票とすることはできない。

(3)、本件選挙における投票のうち、前記(二)の(6)の「田端」と記載されている一票は、原告の氏である「川畑」と書く意思で誤つて記載したと認めるに足りる証拠がないから、候補者以外の氏を記載したものとして無効であり、「かわた」と記載されている一票は、前記(二)の(7)のとおり本件選挙において金田健一、川藤睦美が立候補していたことを考えると、候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効であり、いずれもこれを原告の得票とすることはできない。

(4)、本件選挙における投票のうち、前記(二)の(2)の(ヘ)の「正度辺治」と記載されている投票は、その記載から渡辺治に対する投票と認めることができるが、右の記載のうち「」は、候補者の氏名以外の他事を記載したものであるから、右投票は無効であり、渡辺治の得票とすることはできない。

(5)、してみると、本件選挙における原告の得票は右(1)の正票(按分によらない得票)二百七票のみであり、渡辺治の得票は右(1)の百九十六票と前記(二)の(2)の(ト)の二票、(二)の(3)の十二票の正票計二百十票と、前記(二)の(4)の四票を渡辺治の正票二百十票と候補者渡辺岩太郎の正票百六十三票を基礎として、渡辺治に按分される二・二五二票との合計二百十二・二五二票である。

(五)、以上のとおりで、本件選挙における候補者渡辺治の有効得票数の方が、原告の有効得票数よりも多いから、美浜町選挙管理委員会が、選挙会が原告を当選人としたことを無効と決定したこと、および被告が原告の訴願を棄却する裁決をしたことはいずれも正当であり(原告と渡辺治のうち、有効得票数の多い方のみが当選人となり、少い方が落選人となるべきものであることは、当事者間に争いがない)、右決定、裁決の取消しを求める原告の請求は理由がない。

よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小山市次 広瀬友信 寺井忠)

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